おせんの江戸日誌

江戸と平成の世を行きつ戻りつの書き散らし

婆さま 享保元年十月 参道の女その十一 

それを聞いた作次の顔がみるまに呆けたような泣いているような妙なものになった。

「じゃ、じゃあ 死んだおっかさんの? おっかさんの方の婆さまで?」

父である熊造の母親、そっちの婆さんなら知っている。
しかし和尚の口から出た言葉は作次が考えもしないものであった。

「確かにおっかさんの方の婆さまだが、お前のおっかさんは熊造の女房じゃないぞ」

固唾を呑んだ作次にかまわず和尚は語り続ける ・・・

 今ごろになって何故このような話しをするのか、わしにもよう判らぬ。
 が、婆さまが急な病いでなくなられたことが関係あるのは間違いない。
 婆さまはお前を我が孫ではないかと思いつつも確証は得ておらなんだ。
 三途の川を渡りながらも心残りだったろうと思うと、なあ . . .
 わしも迷うているのじゃ。何も知らなかったお前に、このような事を
 言うていいものなのか . . .

 だが作次、どこの婆さまかは言えぬが、せめてその命日にお前が孫として
 線香の一本でもあげてくれるならば婆さまも喜ぶと思ってのう . . .


いつのまにかあたりには夕闇が忍び寄り、和尚の顔も定かではない。



                      犬



                
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栗落雁 享保元年十月 参道の女 その十 

塗りがほとんど剥げ落ちたそれが和尚の菓子入れなのは作次も昔から見知っている。
和尚はゆっくり箱を開けながら「お食べ」と、小さな子に言うように作次に言った。
箱の中には長四角に成形された、薄い生成り色の菓子がびっしりと並んでいる。

「 ・・・ 和尚様。栗の味が、あのう、なんとも美味いもので ・・・ 」

軽く歯をあてただけでホロッと崩れ、栗の風味を残しつつ淡雪のごとく溶けてゆくその甘さ。
子どもの頃から口にする菓子といえば、煎餅だったり団子だったりの作次である。
このような美味しい菓子は初めてでございます。と続けて言いかけたのをグッと呑みこんだ。
記憶がよみがえったのである。『前にこれを食べたことがある』と言う舌の記憶 ・・・
食べたのはいつのことだろうか。作次の記憶には残っていない。
ところが舌の記憶が誘因となって作次の頭にいきなり一つの光景がよみがえったのである。
この菓子を食べている作次の前に誰か居て、こちらを見ていた。

「ところでその羅漢寺参りの婆さんとやらだが、もうこの世の人じゃないぞ」

不意によみがえった記憶をたぐり寄せようと、食べる手も止まり必死の面持ちでいるところに
聞こえて来た和尚の意外な言葉にハッと顔を上げた作次。
それをじっと見据えた和尚が次に言い放ったのが「あのお人はお前の婆様だ」の一言だった。


                        犬



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月命日 享保元年十月 参道の女 その九 

翌日、空は高く晴れ上がり暖かな日差しに満ちていた。
伝吉と共に店を出ようとしている作次に向かい、

「月命日の墓参りにうってつけで何よりですねえ」

と五平は笑った。作次と六十を超えている五平が並ぶと、まるで祖父と孫のように見えるらしい。
近ごろでは作次自身が五平を本当の祖父のように感じ始めているのだから、他人にそう見えて当然なのかもしれない。

伝吉と他愛ない話しをしながら歩いているうちに、作次は昨夜聞いた五平の怪しい行動を忘れよう、聞かなかった事に
したい、と思い始めている。
きょうの伝吉は五平の一件について一言も触れなかった。

伝吉と別れた堅川沿いの道から南にそれ、あぜ道を歩いてしばらくすると木々に取り囲まれるように建っている滋眼寺
が見え隠れし始める。
この寺の開基は文亀二年と非常に古く、田舎の古寺にしては堂々とした建物で手入れも行き届いている。
「よほどの金持ちが檀家についてるのだろうよ」などと人々の噂にのぼるのも当たり前なのかもしれない。
門をくぐると境内の木々には紅葉がまだ鮮やかに残っていた。

墓参りを終えると、作次は急ぎの用が無い限り和尚の部屋でひと時を過ごすことにしている。
それで今も和尚と茶を飲んでいるわけだが

「よう流行っているようじゃな。けっこう。けっこう」

和尚は笑いながら文机の上の漆塗りの小箱を取り、作次の前に置いた。


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うそ 享保元年十月 参道の女 その八 

幼馴染みの伝吉が嘘をつくような男じゃないのは重々承知の作次だ。
五平も誠実を絵に描いたような人柄で、嘘をつくなどとてもじゃないが信じられない。
あの日川崎宿の手前、六郷川の渡し近くに住む「兄の看病がしたいので」と言った五平の表情には
切迫したものがあった。

「気の済むまで看病してきなせえ」

と作次に見送られて慌ただしく旅立った五平なのだ。
まさか「両国広小路で小つぶ千両でもあるめえ」と作次が思うのも無理はない。

「作ちゃん、鍋が煮えてきたようだぜ」

焼いた魚をあらかた食べてしまった伝吉はそう言うと、湯のみの酒をグビリと呑んだ。


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焼き芋 享保元年十月 参道の女 その七 

五平考案の焼き芋はたちまち大評判をとって売れに売れた。
羅漢寺に参詣に訪れた人や通りがかりの人のみならず、寺の小坊主や坊さんまでもが
こっそり買いに来るほどなのだからその評判のほどが知れよう。
たけ屋の周辺の茶店がこれをいち早く真似たのは当然ともいえる。
それまでサツマイモは茹でるか蒸して食べるのが一般的だった。
それが焼き芋にすると、まるでまったく別の食べものになる。
パリッと焼きあがった皮の中はほっこり甘く、香ばしい匂いもたまらない。
人々は焼き芋に夢中になり、その商売はたちまち江戸市中に広まっていった。

そんなある日、泊まりがけで遊びに来ていた伝吉が、五平が帰ったあと妙なことを言い出した。
老舗『鶴田屋嘉兵衛』から五平が出てくるところを見かけたというのだ。
鶴田屋嘉兵衛は両国広小路に店を構える菓子商で、大名家にも出入りしている大店である。
ここの『栗落雁』は非常に有名で、西国にまで名を知られているとか。
これは山栗と和三盆が材料で、山栗の野趣と和三盆の上品な甘みが絶妙の高価な佳品である。
安価なものでは『小つぶ千両』というこしあんを使った団子があって、これも非常に美味い。
女中や丁稚の給金で買えるものだから、これを五平が買いに行ったとしても別に不思議ではない。
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