おせんの江戸日誌

江戸と平成の世を行きつ戻りつの書き散らし

いろはの い 

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さのちゃん 折鶴つくらないの?
そんな 友達の呼びかけに、さのは「うん、今度ね」にっこり笑うと、師匠に挨拶をして手習い所を出た。
親もとから通っている子達と違ってアタシには仕事があるもの……

さのが小間物商の藤澤屋に女中奉公にあがったのは九つの時だった。
その頃まだ健在だった藤澤屋の喜兵衛夫婦は「読み書き算盤くらいは」と、さのを手習いに通わせてくれたのだ。
これは決してさのだけに温情をかけたわけではなく、他の小僧たちにも同じく手習いへ通わせている。
奉公人への、これは藤澤屋のいわば家風というか、主人喜兵衛の信念のようなものだったに違いない。

だが、藤澤屋は一人娘のやそを手習いに出さなかった。それはものごころつく前に熱病が原因で手足が不自由に
なった娘を人前に出すのをためらう気持ちがあったのと当の本人が外出を嫌がったし病弱でもあったという理由
もあったのである。
それに、やそが五つの時に母親のテル、つまり喜兵衛の妻が風邪をこじらせて死んだのが大きかった。
商いに励む喜兵衛にとって娘の養育係を雇うのが精一杯で、手習いまで気が回らなかったのである。
そしてその養育係として雇われた女中も、その点については無頓着だった。

字を知らないまま二十になったやそだが このままじゃいけない。と、女中のさのは思っている。
さのにとって、文字を読めて書けるようになる過程は楽しかったし、輝くような思い出だったからである。
それに…アタシが死んだら、読み書きも出来ないお嬢様がこの先困るのは目に見えている。

つぶれた藤澤屋にひとり居残った さのは、主家の娘に自ら「いろはのい」から手ほどきしようと考えている。

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男気まんまん 

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大店ではないが、そこそこに手広く、かつ堅実に商っていたはずの藤澤屋がつぶれるのはあっというまだった。
つぶれたのは売掛金の焦げつきが発端で、金策に奔走する主人の喜兵衛が病に倒れたのが致命的となった。
奉公人たちは先の見通しの立たない藤澤屋を身限りさっさと辞めて行ったが、さのは残った。

住み込み女中だったさのが去らなかったのは、年齢も五十で帰る家も、頼る身寄りも無かったからである。
そして何より『長年お世話になった主家の零落を見てみぬふりはできない』気持ちゆえなのであった。

居残ったさのは内職や通いの賃仕事に励みつつ病床の喜兵衛とその娘やそを養った。
やそは赤ん坊の頃の熱病が原因で手足が不自由になり、好奇の目にさらされる外出を嫌う娘である。

何もかも一手に引き受けて家事や仕事に励んださのだったが苦痛に思ったことは一度もなかった。
むしろ喜兵衛とやその父娘を支え養うことに女中時代にはなかった充実感を覚えたほどである。
しかし、そんな暮らしは半年も続かなかった。喜兵衛が死んだのである。

こうなると体が不自由でお嬢様育ちのやそを一人置いて出て行けるようなさのではない。
しかも
亡くなられた旦那様には気の毒だが、うまい事にこれからはお嬢様とあたしの女ふたり暮らしだ。
ちょっとは気ままにおもしろおかしくやらせていただきましょうかねえ .......などと思っている。

これまでをほとんど家の中でひっそり暮らしてきたやその笑顔を引き出してみたい さのなのである。

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もし、偶然にも自分が豊臣秀頼や源義経の末裔だと知った場合、それを嫌がる人はいないだろう。
ま、人それぞれで、家康のほうが良かったとか藤堂高虎じゃないと……というのはあるかもしれないが。

伝蔵の場合も、この正月 (夢に)現れた女忍者に、自分が忍者の末裔であることを知らされた。
夢うつつに聞いたオノレの出自だったが、伝蔵はあっさりそれを信じた。
というのも、俺の爺様は「近江国(滋賀県)甲賀郡から江戸へ出てきた……」と言うていたもの、だからであった。

長屋裏の空き地の一画に、雑草から突き抜けるように九尺(約2.7m)を超える麻が十本ほど生えている。
これを眺めて太いため息をついた伝蔵、実はとっくの昔にこれを飛び越えるという日課を放棄している。
ま、並の人間に日ごとめざましく成長していく麻を飛び越え続けることなど、できるはずは無いのだ……

忍者は赤児(あかご)のうちから体づくりを施され幼児になると修行を始める、と講釈師が言うていた。
俺がこの歳で始めるのは遅かったんだろうなあ。。。
けれど、けれど、、今からでもモノになる術はきっとあるはず……

天下泰平のこの世に、術を習得して何に役立てるつもりか伝蔵。
もはや忍びの出番は無いし、あってもしかるべき筋(幕府とか大身大名)に何のツテもないというのに。

しばらくうっとりと夢でも見ているような目つきになっていた伝蔵、草薮を走りまわり穴を掘って遊んでいた
タロが丈高く育った一本の麻を軽々と飛び越えたのには気づかなかった。
初めの頃から伝蔵の麻草飛びに付き合ったタロだが、伝蔵が辞めたあとも練習を続けていたのだろうか…
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