おせんの江戸日誌

江戸と平成の世を行きつ戻りつの書き散らし

妖怪 たまご喰い 


名亀村から四里ほどの来梅村めざして幼い兄妹が歩いているその道の大部分が川に沿っている。
川は黒目川と言い、先で荒川に合流し江戸湾に流れこむのだと言う。

あんちゃん、団子も甘酒もおいしかったねえ。と語りかけてきた妹のさわの弾んだ声に、太吉も
ウン、うまかったなと答え、そしてほんとにうまかったなあと思った。
きょうは太吉の家で搗いた餅を正月用にと名亀村にある叔母の家に届け、今はその帰りなのである。
鏡餅は八才の太吉が背負い、小餅入りの風呂敷包みはさわと二人がかりで下げたのだが餅は重かった。
二才下のさわの力は案の定弱くて、餅を捨てたらどんなに楽だろうと太吉は何度も思ったものだ。
だが捨てたりせずにようやく名亀村に着いたふたりを叔母は甘いもので歓待してくれたのだった。

そして今は帰りで、来梅村のはずれの鎮守の森にある社が見え隠れする地点までたどり着いている。
もう少しで家だ。太吉はほっとした気持ちになった。
けれど日は空を紅く染め始めており、遠目からは青々と見えた鎮守の森も今は黒々とした塊にしか見えない。
ところが太吉は急に小便がしたくなって、さわにここで待っているように言って鎮守の森に入った。

早く家に帰らなくちゃな ... 小便が終わって道に戻りかけた太吉はギクと足を止めた。
何かが森の中で動いたような気がしたのである。 誰かいる .... 誰かいる .....
そいつは居た。
雑木にぐるりと囲まれた朽ちかけた祠(ほこら)前の草地にある小さな塊を、太吉は初め岩だと思った。
だがそれは岩などではなく人のようで、ズルズルと何かを啜るような音の後に何か白っぽいものを放り投げ
たのである。ひとつ、そしてまた啜る音の後にもうひとつ .... もうひとつ 「爺(ジジイ)だ!」
恐怖に襲われた太吉が後ずさりした足がグワシャと何かを踏みつぶし、ぬらりとしたものが足指に絡んだ。

来梅村では昔から子どもがむずかったり手伝いを怠けると「たまご喰いの爺が来るゾ」と脅す。
爺の好物は産みたての鶏の卵だが、それが無ければ「人の赤ん坊か小さな子」を喰って我慢するんだと。
耳もとに低声で、そうささやかれると子どもは泣きやみ、素直に言うことを聞くのだそうな。ところで
太吉の記憶は悲鳴をあげたところまでで、近くの畑にいた五作が飛んできて気絶した自分を背負い、さわの
手を引いて家まで送り届けてくれたことなど、知る由もない。
                     餅つき
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怪談 恋しぐれ 


昼過ぎからぽつぽつ降りだした雨はすぐやむかと思われたのに、今ひさしを叩く雨音は強い。
弥吉が不意に立ちあがると、座ったままの新次郎とその許嫁のお菊を見下ろす格好になった。

弥吉は「作衛門さんの店と、ついでにお時さんちものぞいてこよう」そう言い、すぐ出ていってしまった。
きょうは月に一度の歌留多会の日なのだが、まだ三人しか集まっていなかったのである。
この日、新次郎の親兄弟は親戚の家に泊まりがけで行っており、会を催すには絶好の機会だったのだ。
弥吉が出て行ってすぐ、新次郎はお菊のぽっちゃりした白い手を触ろうとしてはねのけられている。
お菊は許嫁の新次郎に手さえ握らせないほど身持ちの堅い娘なのだ。

どのくらいたったのだろうか .......
すでに外は真っ暗で行灯の灯はわびしく、激しく降る雨の軒(のき)を伝う音がお菊には物悲しく思われた。
弥吉は出て行ったなりで帰ってこないし、他の連中も雨をおしてわざわざ来るとは思われない。
さっきまで火鉢の炭を転がすなど所在無さげだった新次郎も、今は手枕でいびきをかいている。

どのくらいたったのだろうか。
ぼんやり時を過ごしていたお菊の目の隅に炎の暖かな色が映った。そこは障子が閉まった次の間である。
それは蝋燭(ろうそく)の炎のように思えたが、自分たち以外に誰もいないはずなのになぜ灯りが?
不思議に思ったお菊は新次郎を起こすことも忘れ、障子に映る火影(ほかげ)をじいっと見つめていた。
と、いきなり蝋燭の火影に髪を振り乱した女の幽霊の影がありありと浮かんだのである。

キャアーと凄まじい声をたてつつ寝ている新次郎の背にしがみついたお菊。
眠りこけていたはずの新次郎が即座に向きを変え、素早くお菊を抱きとめたのは不思議ではあるが ....

弥吉は家を出て行ったと見せかけ、そっと次の間にひそみ時機をうかがっていたのである。
そして『仕掛け蝋燭』に灯をともしてから出たのだが、彼はこの夜ついに戻らなかった。
前日に歌留多会取りやめの知らせは済ませてあったので、会の連中が訪れるはずもない。

そして怪しい蝋燭は、お菊が身繕いする頃には幽霊もろとも燃え尽きてしまっていたのである。
                     蝋燭
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のぞき男 

  「ア”ーーッ また来てるよ!みんな捕まえておくれッ あの男だよッ」

お熊さんのけたたましい声に飛び起きた途端、バタバタドシドシと何人かの走っているらしい音、ドブ板を踏み
割ったらしい気配、呻きながらちきしょうと吐き捨てた声、それらが一緒くたになってあたしの耳に飛び込んで
きたのですが、おかみさん連中の獅子奮迅の活躍もものかは 男は逃げてしまったようです。

  「おせんちゃん、あんた一体いつまで寝てる気だい。ア、酒臭いよ あんた。いいかげんにおし モウ。
   さっきの男はあんたの家を覗いていたんだからね。それもこれで二度めなんだから」

家の戸を音高く開けて入ったお熊さんは鼻の穴をふくらませ大きな顔を真っ赤にしてまくしたて始めました。
お熊さんの話が本当なら、または記憶違いでなければ、相撲取りのような体格の覗き男がこの長屋に初めて
姿を現したのは三日前という事になります。

その三日前という日は、幇間の参八が「おせんさんどうでげしょ」とよそいき姿を見せに来た日です。
土間でくるりと回って見せた参八は床屋帰りの首から上に、着物は藍鼠色の着流しに黒羽織、白足袋に雪駄履き
というものですから、あたしも太鼓判を押さざるを得ない出来上がりでした。
誉められて安堵したらしい参八、これから鶴田屋さんと出かけるとかで嬉しそうに雪駄をチャラチャラ鳴らしな
がら帰って行ったんですが .......

妙な男など 心あたりなんてこれっぽちも無いあたしですから、男の狙いは参八に違いありません。
そいつはきっと高利貸しか何かの取り立て人で、なかなか金を返さない参八を尾行してきたに違いない ......
あたしはそう思ったんです。
それにしても参八も情けない。正月も間近いってのに借金取りから追いかけられるなんて。

  『くわばらくわばら 。こっちに貧乏神が移ってきたら困るじゃないか。紅売りにでも行ってこよ』

というわけで昼めしあとの、ずいぶん遅めのお得意先回りになったわけですが、どうもいけません。
どこへ行っても誰かがあたしを見ているような感じがして肩が凝っちゃいました。
誰かにこっそり見られてる、これって気のせいですかねえ。
                        チビ下駄

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機転夫婦 


貞元寺門前の永楽は江戸の数ある料理茶屋の中でも格式が高く武家の利用も多い。
それも千石級の旗本から江戸屋敷留守居役などであり、稀に大名の子息などのお忍びもあって
平たく言えば、永楽という茶屋は庶民が気軽に出入りし飲み食いするような店ではないのである。

その永楽に今夜は西国某藩のお殿様がお忍びで来られるのだとか。
藩の重役級の来店食事など珍しくもないが、藩主直々の来店となるとこれはまずあり得ないことである。
店側としては来てほしくない客と言ってもいい。絶対に粗相は許されない。
それに料理や食器、部屋のしつらえや接客などすべてに満足してもらわないといけないのだ。
ために主人から下働きの者まで店の者は夜が明ける前から全員が起きだし、入念な準備をしたものである。

そしていざ本番、店が本来持っていた実力と当日の努力気配りの甲斐あって殿様は御満悦。
庭から帰るのも風流じゃと殿様の思いつきで駕篭も供の者も急遽庭先に回り、見送るためにずらり並んだ
店の者の見守る中、沓(クツ)脱ぎ石から下りた殿様の懐からどうした弾みか何かが地面に落ちた。

秋の冴えた月光に照らし出されたそれは高麗青磁の小鉢であった。
永楽初代の百三十年前から伝わる名品で、今宵それに銀杏の真薯蒸しを盛って殿様に供したのだが .......
その小鉢が殿様の懐からポロリとは・・・そこに居た者すべてが凍りついたのは言うまでもない。

が、しかし永楽の主人重蔵と妻おひでの行動は早かった。
落ちた小鉢をさっと拾って「御土産を包みもせずに不躾なことを」と殿様の前に土下座した重蔵。
そこへ、いったん奥に駆けこんだおひでが戻り、紅白の組紐でくくった古びた木箱を差し出した。

気に入った小鉢を出来心で懐に入れたのがばれたのを土産と言ってくれた重蔵のおかげで面目も立ち、
落ちた小鉢と揃いの残り九個も御土産として貰った殿様が御機嫌で帰られたのは言うまでもない。
                        城
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