おせんの江戸日誌

江戸と平成の世を行きつ戻りつの書き散らし

ぢゃんぢゃん蕎麦 


裏店住まいの也助、その稼業は蕎麦屋である。
だが蕎麦屋といっても表通りに見世を構えているわけではない。
也助のは夜ふけに屋台をかついでの担い売り、世間で夜鷹蕎麦と言われるものだ。

その夜鷹蕎麦だが、旨い奴から馬鹿にまづい奴までピンキリがあって、也助の屋台ではピンでもなく
キリでもない凡庸な味を守り続けている。
ピンの屋台は土佐節の上等なのを使って素敵に旨いのを食わせたりしており、也助はそれを羨ましく
思っているが、あいにく土佐節を買うほどには儲けておらず凡庸な味を貫くしかないのだ。

一杯十六文でもそれを売り切ってしまえば御の字なわけだが、もちろん思うにまかせない夜もあって
しょげ返ることもある。だが也助はこの商売がけっこう好きで自分の性に合うと思っている。
そんな也助の稼ぎ時は火事が発生した時である。冬場ならなお良い。
火事を知らせる鐘がジャンと鳴ったら屋台をかつぎ、火事の現場へ急ぐ。急ぎに急ぐ。
そして現場近くに到着するや、火事場からやや離れた安全で手頃な場所で客を待つことにしている。
しかし、これが也助だけではないことは火事場周辺のあちこちに夜鷹蕎麦の行灯が灯るので分かる。

火事見物が好きな連中はジャンと鳴ると遠路をものともせず、それっと駆けつける手合いが多い。
見物を終え帰路につきかけた野次馬連中、そこでようやく空きっ腹に気づき屋台は繁盛するのである。
                         鳥居と月
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してやったり 


料理屋魚甚の座敷女中だったおさくが、同じ店の料理人稲蔵と所帯を持ってから三年が過ぎようとしていた。
ふたりは、いずれ小ぢんまりとした飲み屋でも開きたいと共通の夢を持ち、これまで懸命に働いてきている。
だが金が貯まるより先に稲蔵は賭場に出入りするようになり、そのうち仕事も辞めてしまったのである。
おさくが魚甚でもらう給金はそのまま稲造が賭場で遊ぶ資金になり、おさくは内職もするようになったのだが
ところがこの頃では事態はもっと悪くなり「ご亭主には女がいるようですよ」と耳打ちしてくれる人が二、三
でてきたのである。

   「あんた 女がいるんだってね。甲斐性もないくせ博打と女にとち狂っちゃって。みっともない!」

しかし稲造は、この馬鹿ッと大声でむしゃぶりついたおさくを殴りつけ『おめえとは終わりだ』と、家を出て
行ってしまった。

長屋の連中は突き飛ばされて突っ伏したままのおさくを、開け放たれた戸の外から気遣わしげに眺めていたが
おさくのか細い泣き声に「ソッとしといてやろう」と思ったかして、しばらくすると皆引き揚げてしまった。
泣いていたおさくの肩が小刻みに震え始め、忍び笑いが始まったのはそれからしばらくしてからである。

稼ぎもせず博打を打つような亭主にはとっくに愛想が尽きていたし、料理の腕がたつ料理人の弓作といい仲に
なったのは亭主に女ができるより、おさくの方が先である。
これから魚甚に行って旦那様に泣きつこう。
なんたってあたし達の仲人だし、憐れんで店を買う後押しをしてくださるかもしれない ....
そうなりゃ  弓作さんと ・・・
おさくのさっき始まった忍び笑いが腹を揺すっての大笑いに変わるのにさほど時間はかからなかった。
                 春の女
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