おせんの江戸日誌

江戸と平成の世を行きつ戻りつの書き散らし

闇の底 


戸を閉めていても春の夜の怪しいまでのなまめかしさは部屋に忍び入ってくる。
獣が残した匂いや青く猛々しい草の香、何かの花の濃厚な香り。
昼間ならありふれたそれらも、夜には闇と一体となって何か一つの生き物のように思われる。

  このような夜こそ迷い出てくるものじゃ。供養してやらねばのう。

円惇尼は庭に出た。だが庭といっても庵の周りだけ草を刈り取っただけのものである。
あとは武蔵野の茫漠とした草原がどこまでも広がっているばかり。
そんな庭と草原、その境のあたりに円惇尼はおぼろに浮かぶ人影を認めた。
近づくと、それはざんばらの髪を後ろで結わえ、夜目にも白い着物姿の若い女であった。
女は地面に正座し膝にのせた小ぶりの壷を大切そうに、その白く細い手で支えている。

  何をしているのかえ。この尼に聞かせてたもれ。

円惇尼は顔を上げこちらを見た女に言葉柔らかく問うた。
迷い出た者をあの世へ再び戻してやるのなら、まず第一に警戒心を与えてはならないのである。
女に警戒心の無いのを見てとるや、円惇尼は数珠を揉みつつ念仏をゆっくり唱え始めた。
ところが念仏に対抗するように女もまたブツブツつぶやき始め、その手は膝の壷を撫でさすってやまない。

  このおなご、 て、手ごわい ..... ムムム ....... ギャアーッ

ざんばら髪の若い女、タマキは円惇尼を吸い込んだ壷に素早く栓をし呪文を書いた封印を貼付けた。
円惇尼、もし生きていれば三百才。
自分の死を自覚できていない霊魂を依頼により回収し成仏させるのが妖縛師タマキの生業なのである。
ちなみに今回の依頼者は近隣に住む村人達であった。
                        ミニ笹
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