おせんの江戸日誌

江戸と平成の世を行きつ戻りつの書き散らし

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栗落雁 享保元年十月 参道の女 その十 

塗りがほとんど剥げ落ちたそれが和尚の菓子入れなのは作次も昔から見知っている。
和尚はゆっくり箱を開けながら「お食べ」と、小さな子に言うように作次に言った。
箱の中には長四角に成形された、薄い生成り色の菓子がびっしりと並んでいる。

「 ・・・ 和尚様。栗の味が、あのう、なんとも美味いもので ・・・ 」

軽く歯をあてただけでホロッと崩れ、栗の風味を残しつつ淡雪のごとく溶けてゆくその甘さ。
子どもの頃から口にする菓子といえば、煎餅だったり団子だったりの作次である。
このような美味しい菓子は初めてでございます。と続けて言いかけたのをグッと呑みこんだ。
記憶がよみがえったのである。『前にこれを食べたことがある』と言う舌の記憶 ・・・
食べたのはいつのことだろうか。作次の記憶には残っていない。
ところが舌の記憶が誘因となって作次の頭にいきなり一つの光景がよみがえったのである。
この菓子を食べている作次の前に誰か居て、こちらを見ていた。

「ところでその羅漢寺参りの婆さんとやらだが、もうこの世の人じゃないぞ」

不意によみがえった記憶をたぐり寄せようと、食べる手も止まり必死の面持ちでいるところに
聞こえて来た和尚の意外な言葉にハッと顔を上げた作次。
それをじっと見据えた和尚が次に言い放ったのが「あのお人はお前の婆様だ」の一言だった。


                        犬



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