おせんの江戸日誌

江戸と平成の世を行きつ戻りつの書き散らし

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千郎秘帖 

宝永六年(1709年)、風こそ強いが空一面を埋めつくした黒雲は重く垂れこめ動く気配もない日のことであった。
見るからに頑健そうな僧が市ヶ谷八幡宮の胸をつくような石段を苦もなくのぼりきり、境内を見渡したものである。
広い境内には茶屋や芝居小屋などが軒を連ね、聞きしに勝る大層なにぎわいぶりである。
今にも降りだしそうな天気だというのに、行き交う善男善女の数は多く、その顔はどれも楽しげであった。

  千郎(せんろう)殿は在宅であろうか。

京の都から千郎に会うためにやって来たにもかかわらず、照円の気はすすまない。
だがまさか会わずに帰るわけにもいくまい。滝石千郎の語る話を余さず書きとめ持ち帰るべし、という帝の秘命には
千金の重みがあり、今も照円をがんじがらめにしているのだ。
延長八年(930年)の清涼殿落雷の直後に、御所を出奔してからの千郎の見聞は、折々に時の帝から任命を受けた
者が彼の住む地におもむき、その話を余さず聞き取ったうえで記録する。
記録は帝が上覧されたうえで厳重に保管され、秘帖として代々の帝へ人知れず受け継がれているのだ。
  
先帝の命で若い照円が初めて千郎に会ったのは、きょうと同じ江戸は市ヶ谷八幡宮の境内であった。
その当時照円から見た千郎は自分と同じ年頃に思えた。が、それから三十余年が過ぎている。
五十の坂を超えた今の照円に、輝くようだった青年僧の面影は当然の事ながら無い。

大日堂の西側にある茶店の裏手の、八幡宮の許可を得て建てられたという小さな庵に千郎は居た。
しかし、もはや老僧といってもいい照円に比べ、千郎は美貌の青年のままではないか。

 『帝の御冗談を真にうけ、若狭の国より献上の『人魚の肉』を食したのが拙者の地獄の始まりでした。
  食してすぐに清涼殿に落雷したのは決して道真公の怨念のなせるわざにあらず。人魚の肉を食べた
  拙者へ天の神々が怒られた現れ、帝の御寵愛に奢った拙者への罰の始まりであったのに違いありません。
  御所の警護侍であった拙者が御寵愛の身となり、果ては不老不死。目にするのは人の生死の繰り返しのみ 。
  不死の身は突こうが裂こうが病にかかろうが、また元の顔元の体。長い年月に知り人も絶えてしまい申した。
  照円殿もこのような男を見るのは気が重うござろうが ...... 仕方もない。では始めてよろしいか?』

語り始めた時、微かな翳りが千郎の美しい顔を一瞬走り抜けたようである。
だが、照円はそれに気づかぬまま、三十余年の空白を埋めるべく筆を走らせ始めていた。

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     市ヶ谷八幡宮
       歌川広重 市ヶ谷八幡


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