おせんの江戸日誌

江戸と平成の世を行きつ戻りつの書き散らし

老爺 享保元年十月 参道の女 その六 

それから数日して、作次はふと思いたつままに店を休み熊造の墓参りに出かけた。
寺は深川にあり、滋眼寺という。
この寺の天正和尚はなぜか熊造を非常に気に入ってい、子どもだった作次に字を教えたり
菓子を与えたりとずいぶん可愛がってくれたものだ。
きょうも久しぶりの墓参りなのに和尚は小言など言わず、喜んでくれた。
それどころか「もうクタクタなんで」と、つい愚痴っぽくなりがちな作次に顔をほころばせ
ながら「いいのがいる」と下働きの者まで紹介してくれたのである。

和尚の紹介で、たけ屋に通い始めた五平という名のその老爺は骨身を惜しまず働いて作次を助けた。
それに万事に出しゃばることがないから作次とは うまが合った。
問題は作次目あてに来る女客たちだが、母親連れや女中を従えて来る娘はまだましなほうで
仲の良い者どうしで連れだってくる女客がちと図々しい。
作次の顔や仕草に見入ったあげく、ひそひそ声で語り合う。嬌声をあげたりもする。
ほかにも昔スリだったという噂のある女や尼くずれの女など変なのもやってくる。
きのうの町娘などは作次を見るなり「新五郎さまだ」と連れの女の膝に泣き崩れた。
なんでもその町娘は正徳四年だったかに三宅島へ流された、あの絵島生島事件の生島新五郎を
かねてからひいきにしていたらしい。

どいつもこいつも、と店を閉めてから作次がくさりきったのは当然といえよう。

あしたはサツマイモを焼いたのを出しちゃどうでしょう。と言いおいて五平は帰っていった。
初めて聞いたが、サツマイモは美味そうだな、と作次は乗り気になっている。
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月明かり 享保元年九月 参道の女その五 

昨夜から降り始めた雨は昼すぎになって止んでいる。
雨が降ると道が泥田のようになるので出歩く人は少ない。
もちろん羅漢寺のあたりに人影はほとんど無い。
たけ屋の中も幼馴染みの伝吉と遅がけに珍しく駕篭で乗りつけた
婆さんだけで静かなものだ。

「作ちゃん、こう忙しくなってくると手が足りねえんじゃねえのか?」

と、言いつつ伝吉は次の団子を頬張った。

「ああ、人手も足りねえし店だって狭すぎる。けど、金もねえしな ・・・」

あとはため息になってしまった作次の言葉を追うように鐘が鳴った。
暮れ六つを知らせる時の鐘である。
婆さんが財布を取り出して銭を数えはじめた。

きょうは骨休めができた作次だが、目の下にはまだうっすらと隈が浮いている。
店が流行るのはいいが、忙しすぎて近ごろは薪を割る腰がふらついてしまう作次なのだ。

「ま、人手についちゃ俺も心あたりが無くもねえ。二、三、あたってみるつもりだ。
 作ちゃん それまで無理するんじゃねえぜ。また来るからよぉ」

待たせていた駕篭に、婆さんが乗り込むのを助ける作次を励まして伝吉は帰っていった。
深川にある船宿の雇われ船頭である伝吉、これでけっこう顔が広い。

作次はそれから里芋の茹でたのへ塩を振って食べ、酒を少しばかり呑んでから寝た。
外では十三夜の月に照らし出されたすすきのひとむらが風にゆれている。
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芋団子 享保元年九月 参道の女その四 

羅漢寺の門前には茶店が四軒ならんでおり、作次の店は『たけや』という。
(これから先は読みやすいよう『たけ屋』と書くことにいたします。)
享保のこの頃はまだ砂糖は高価なものだったので一部の人のものでしかない。
たけ屋の団子は米粉とゆでた芋を練り合わせたもので、出来上がりにすりゴマと
ほんの少しの塩を混ぜたものをからめてあり砂糖は使っていない。
それでも芋の甘みと黒ゴマの油気の相性が良く、ほのかな塩味がきいた団子には
ほっとするような味わいがあって腹もちも良いので人気がある。
熊造が考案したこの芋団子食べたさに羅漢寺詣でをする者もいるらしい。
冬場の甘酒や干し柿、夏の西瓜などがある時も芋団子の注文のほうが多い。
こうなるとたけ屋の芋団子は名物といえよう。

ところが作次が熊造のあとを継いで店に出るようになると様子が変わった。
芋団子は相変わらず売れている。
変わったのは客の層で、女の客が増えたのである。
女たちの目あては『本所のらかんさん』ではなく作次にあった。
どうやら役者と見まがうような作次の男ぶりが評判をとったらしい。
女の客が増えてきた為に店に入りきれない客も出てきはじめてきた。
例の婆さんもいささか居づらそうになってきている。
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熊造 享保元年九月 参道の女その三 


作次の死んだ父親は熊造という名の無口な男だった。
そのせいなのかどうなのか、熊造が作次の母親について語ることはなかった。
熊造は茶店で日銭を稼ぎながら男手一つで作次を育てあげたのである。
毛むくじゃらで、いかつい体つきの熊造は山賊もかくやと思えるような男だった。
一見の客が熊造の姿や顔を見てギョッとしたことが幾度となくあったのを作次は覚えている。
その作次はといえば、全く父親に似ていない男っぷりなのだから世の中おもしろい。
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色ぼけ 享保元年九月 参道の女その二 

きょうも作次は団子と茶を婆さんの横に置きながら素早く婆さんを見やり、目をそらした。
作次にしてみればこの婆さんはどう考えてみても妙な客なのである。
婆さんが身に付けているものは清潔なもので火のしもあたっている。
年相応の皺はあるが顔だちは穏やかなもので人品も良く、暮らしむきも良さそうだ。
供の者も付けずに来るがどこか大店のご隠居なのかもしれない。

店が開く頃合いにやって来る婆さんは参詣が終わると作次の店に腰を落ち着ける。
そして暮れ六つの鐘が鳴るまでの間、無言のまま居座り続けるのだ。
婆さんはいつもおとなしくしているし、他の客に迷惑をかけるわけでもない。
けれど近ごろの作次はこの婆さんに少しばかり閉口している。

見るのだ。婆さんがさりげない風を装って作次を見つめるのだ。
どうかして目が合いそうになると婆さんが視線をそらすことを作次は知っている。
それは子どもの頃から気づいていたことなのだが、近ごろそれが度を超してきている。
幼友達の伝吉は「そりゃあ色ぼけしてるのさ」と笑う。
しかしそうでないことを作次はなんとなくわかっている。
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